さらなる品種改良4
ところがこれを陰陽説といわず、雌雄説といったところに誤解のもとがあった。
この哲学を一笑に付して、花 種や植物の人工交配まで踏みきれる人は出てこなかったのだ。
草木雌雄説に基づいていては、優良種子選択の効果もなかったが、それがひきつづき支配的であった(図m-2)。
権威ある学説に対して人間はいかに弱いものであるかといったことの実証のようなものである。
この草木雌雄説は本草学としては大蔵永常が洋学によって反対している。
彼は文政、天保の頃に活動した人で、その雌雄説批判の主著は『再種方附録』天保二(一八三一)年である。
しかし、幕末まで雌雄説は消えなかった。
この雌雄説を実証的に打ちやぶったのは実は農民であった。
現在の日本の稲の品種は神力(西南暖地)、愛国(関東)、亀ノ尾(東北)の三大品種がほとんどに関与しているが、いずれも明治の初めに農民の手により、見いだされたものである。