さらなる品種改良3
ところが中国でも、また園芸文化が高度に発達した江戸期の日本でも、野菜 種や植物の入工交配はなかったのである。
こんな簡単な生物生殖の原理に気づきもせず、それを利用して人工交配をやりもしなかったのはなぜだろうか。
それは説明が必要となる問題である。
その理由は中国の陰陽説、あるいは陰陽五行説という哲学のせいであるということになる。
江戸時代には長い間、日本中にひろがった草木雌雄説というものがあった。
この説が日本の農書にはじめてあらわれたのは、宮崎安貞の『農業全書』で元禄九(一六九六)年である。
元禄時代は江戸期の中でも、花卉園芸上一つの最高の欄熟期に入るときである。
その時には農学者も活動し、こんな珍説といえるものが登場したのである。
草木雌雄説はよく理解すれば、けっして今日の概念の雌雄説でなく、いわば陰陽説である。
作物類には一枚の畑の中に雄と雌の株があり、雌の株の種子をとれば翌年は豊作になるといった具合の説である。